
ふっくらとした2枚の生地に、やさしい甘さの餡をはさんだどら焼き。昔から親しまれている和菓子ですが、「なぜ『どら焼き』という名前なの?」と疑問に思ったことはないでしょうか。
本記事では、どら焼きという名前の由来や、どら焼きが今のふっくらした丸い皮に餡がはさまれる形になるまでの歴史を紹介します。
また、海外の人たちにも、どら焼きの存在が知られるようになったきっかけのひとつ、某人気アニメの影響についても解説します。ぜひ最後までご覧ください。
「どら焼き」の名前の由来には複数の説がある

どら焼きは歴史が長い和菓子です。そのルーツとされる伝承も、800年以上前の平安時代にまでさかのぼります。また、地域によってはどら焼きという名称ではなく、独特の呼び名で親しまれているようです。
ここでは、どら焼きの名前にまつわる代表的な説や地域による呼び方の違いを紹介します。
| 【どら焼きの名前の由来と言われるいくつかの説】 1.「どら焼き」の名前の由来は「銅鑼(どら)」が有力 2. あの有名キャラクターの大好物だから「どら焼き」では? 3. 関西ではどら焼きを「三笠山」「三笠焼き」と呼ぶ地域も |
1.「どら焼き」の名前の由来は「銅鑼(どら)」が有力
「どら焼き」の「どら」は、仏教行事や歌舞伎、音楽の演奏などで使われる金属製の打楽器「銅鑼(どら)」に由来するという説が有力です。ふっくらと丸く焼き上げた皮の色や形が銅鑼に似ていることから、この名が付いたと考えられています。
そのため、どら焼きは漢字で「銅鑼焼き」と表記されることもあります。
銅鑼にまつわる由来として、源義経に仕えた武蔵坊弁慶が、傷の手当てをしてくれた人へのお礼として銅鑼を鉄板代わりに生地を焼いたという伝承も有名です。
つまり、銅鑼の形に似ていたという説と、銅鑼で焼いたという説の二つが、名前の由来として語り継がれています。ただし、どら焼きの起源は明確になっておらず、弁慶の話も史実ではなく諸説の一つです。
いつもの丸い形を銅鑼に見立てて味わうと、身近などら焼きに昔の物語が感じられそうですね。
2. あの有名キャラクターの大好物だから「どら焼き」では?
どら焼きを愛好する人の中には、「あの有名キャラクターが大好きなお菓子だから『どら焼き』と名付けられたのでは?」と考える人もいるようです。しかし、そのような事実はありません。
あのキャラクターが漫画に登場したのは1969年末。一方、どら焼きの原型とされる菓子は江戸時代から存在し、現在のように2枚の皮で餡をはさむ形も大正時代には生まれていたとされます。つまり、どら焼きのほうがずっと先輩なのです。
また、「どら焼きは約800年前に誕生した」という話もありますが、これは武蔵坊弁慶にまつわる伝承をもとにしたもの。誕生時期が史実として確定しているわけではないため、数ある由来説のひとつとして楽しむのがよいでしょう。
3. 関西ではどら焼きを「三笠山」「三笠焼き」と呼ぶ地域も
どら焼きは、奈良を中心とする関西の一部で「三笠」「三笠山」「三笠焼き」と呼ばれています。この名称は、奈良の若草山の別名である「三笠山」にちなんだものです。
若草山は、なだらかな円い丘が三つ重なり、笠を三枚重ねたように見える山。そのやさしい稜線と、ふっくら丸みを帯びたどら焼きの姿が似ていることから、「三笠」と名付けられたとされています。
また、奈良時代に活躍した阿倍仲麻呂が詠んだ「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に出でし月かも」という和歌にちなみ、三笠山の上に昇る満月をどら焼きに見立てたという説もあります。
呼び方や大きさは地域やお店によって異なり、大ぶりなものを「三笠」として販売する場合もあるようです。関西を訪れた際には、店先に並ぶ名前にも目を向けてみると、土地ならではの和菓子文化を楽しめそうですね。
どら焼きの由来と歴史|親しまれるお菓子になるまで

どら焼きは、日本人にとって現代でもおなじみの和菓子ですが、今の姿になるまでには長い年月とさまざまな物語が重ねられてきました。
そのルーツとして有名なのが、源平合戦で活躍した義経主従にまつわる伝承です。その後、江戸時代の「助惣焼(すけそうやき)」を経て、明治から大正時代にかけて、現在のような丸い2枚の皮で餡をはさむ形になりました。
ここでは、どら焼きがどのように生まれ、私たちが知る姿へと変わっていったのか、その由来と歴史をたどります。
| 【現代のどら焼きが完成するまでの歴史】 1. どら焼きのルーツは平安時代の源義経・武蔵坊弁慶の伝承が有名 2. どら焼きの原型のひとつ「助惣焼(すけそうやき)」が江戸時代に登場 3. 現代の丸い2枚重ねのどら焼きは明治から大正時代にかけて完成 |
1. どら焼きのルーツは平安時代の源義経・武蔵坊弁慶の伝承が有名
どら焼きは、平安時代末期に活躍した源義経と武蔵坊弁慶にまつわる伝承がルーツとされています。
義経一行が奥州を目指していた旅の途中、弁慶がけがをして、近くの民家で手当てを受けたそうです。弁慶はそのお礼に、銅鑼を鉄板代わりにして薄い生地を焼き、餡を包んだ菓子を振る舞ったのだとか。
別の話では、義経が残した銅鑼を土地の人が使って焼いたとも伝えられています。
当時は砂糖がとても貴重で、蜂蜜や甘葛などが甘味料として使われていた時代です。もし本当にこのような菓子があったなら、現在のどら焼きとはずいぶん違う味だったかもしれません。
弁慶がどら焼きを作ったことを示す史料は残っていませんが、この伝承はどら焼きの歴史を彩る物語として、今も語り継がれています。
2. どら焼きの原型のひとつ「助惣焼(すけそうやき)」が江戸時代に登場
江戸時代に入ると、どら焼きの原型のひとつとされる「助惣焼」が登場します。ここからは、文献にも名前が残る菓子としての歴史が始まります。
助惣焼は、千利休の茶会でも親しまれた「麩の焼き」の仲間とされ、小麦粉を使った生地を薄く焼き、中に餡を入れて四角く包んだものでした。丸くてふっくらした現在のどら焼きを想像すると、少し意外に感じるかもしれません。
その見た目は、現在のどら焼きよりもきんつばに近い形だったといわれています。ただし、小麦粉の生地と餡を組み合わせるという点は、現在のどら焼きの美味しさにつながる共通の特徴です。
助惣焼は、現在のどら焼きへと形が変わっていく過程で生まれた菓子。江戸の人々が味わった助惣焼から、少しずつおなじみの姿へ近づいていったのです。
3. 現代の丸い2枚重ねのどら焼きは明治から大正時代にかけて完成
明治時代に入ると、どら焼きは銅鑼を思わせる丸い姿に変わります。東京・日本橋大伝馬町の梅花亭三代目・森田清兵衛氏が、皮を丸く焼き上げた現代のどら焼きに近い菓子を考案したと伝えられています。
とはいえ、この頃のどら焼きは、まだ現在の形ではありません。形は丸いものの一枚の皮で餡を包んだ平たい菓子で、ふっくらした2枚の皮で餡をはさむというよりも、楽器の銅鑼に近い姿をしていました。
その後、どら焼きは西洋から入ってきた食文化と結び付き、卵を使った柔らかな生地へと変化します。明治末期から大正時代にかけて、丸い2枚の皮で餡をはさむ、おなじみの形が広まったとされています。
平安時代の伝承から江戸の四角い助惣焼を経て、明治の丸いどら焼きへ。さまざまな時代の工夫が重なり、ようやく私たちの知るどら焼きが誕生したのです。
アニメの人気によってどら焼きは海外でも有名に

どら焼きの人気は、国内だけにとどまりません。海外へどら焼きの名が広がるきっかけのひとつになったのが、某人気アニメの国民的キャラクターです。
作中では、そのキャラクターがどら焼きをこよなく愛し、うれしそうに頬張る場面がたびたび描かれます。アニメが世界中で親しまれるにつれ、「あのキャラクターの大好物」として、どら焼きの存在も知られるようになりました。
海外には、アニメをきっかけにどら焼きを知り、実際に食べてみたいと興味を持つ人も増えています。丸い2枚の皮で餡をはさむ見慣れないお菓子も、画面の中で親しんだ存在と結び付けば、ぐっと身近に感じられるのでしょう。
昔ながらの和菓子と現代のポップカルチャー。その二つをつなぎ、日本の食文化へ目を向ける入口になっていることも、どら焼きが持つ魅力です。
お菓子として深い歴史を持つどら焼きをもっと身近に楽しもう!
どら焼きの名前は、丸い形が金属製の打楽器「銅鑼(どら)」に似ていることに由来するという説が有力です。武蔵坊弁慶が銅鑼を鉄板代わりにして菓子を焼いたという伝承も残されていますが、起源ははっきりしていません。
その後、江戸時代には原型のひとつとされる「助惣焼」が登場し、明治から大正時代にかけて、現在のような2枚の丸いふっくらした皮で餡をはさむ姿へと変化しました。関西では「三笠」「三笠焼き」と呼ばれる地域もあり、土地ごとの文化も感じられます。
さらに、人気アニメの影響で海外にも知られるようになったどら焼き。由来や歴史を知れば、いつもの一品をより味わい深く楽しめるでしょう。
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